知覧特攻平和会館
訪問記の第一弾は,第二次世界大戦末期の日本軍が編成した特攻隊の資料館である知覧特攻平和会館です。
こちらの施設には実際に使用された飛行機,隊員が残した遺書や遺品,隊員の写真などが展示されています。
特攻隊とは特別攻撃隊の略称で,ご存じのとおり,飛行機もろとも敵の艦隊に突っ込み,パイロットの命を犠牲にして敵に打撃を与えることを任務とされた部隊です。
当時の技術では実際に人間が操縦して敵に突っ込むことが命中率を上げる最良の方法だったのでしょう。
隊員のほとんどは両親に宛てた遺書を残しています。
遺書を書いた時の彼らの気持ちは複雑だったことでしょう。
出撃までの間,日本のために命を捧げるという気持ちにあふれていたと思います。
しかし,出撃の時が近づくにつれ,やはり死にたくないという気持ちが大きくなっていったのではないでしょうか。
特攻隊の構成員は,今の高校生や大学生くらいの若い男子が多かったようです。
出撃前の彼らを撮影した写真は,まだあどけない表情が残る青少年です。
私にも高校生の息子がおります。
彼らが息子と同じ年頃だと思うと,一人の親としてなんともやりきれない気持ちになりました。
親はどんな気持ちで息子を送り出したのか?
息子の遺書や亡くなった知らせを受け取った時の親の気持ちはどのようなものだったのか?
おそらく,自分より先に息子を失った悔しくて悲しい気持ちと息子が日本のために勇敢に戦ったのだという気持ちが入り混じって,心の整理がつかなかったのではないかと思います。
両親に宛てた遺書を読んでいるうちに涙が出てきてしまいました。
周囲には当時の遺構がありますが,時間がなくてすべてを見ることができませんでした。
当時,特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの経営していた富屋食堂も近くにあります。
特攻隊員はこの食堂に行き,トメさんと話をするのをとても楽しみにしていたそうです。
親元を離れた彼らにとって,トメさんと話をすると離れて暮らしているお母さんと話をしている気持ちになれたのでしょう。
現在も食堂の建物が残っているので見学したかったのですが,やはり時間がなくて訪問できませんでした。
現在,食堂の隣には鳥濱トメさんのお孫さんが経営している旅館があるそうです。
この施設を見学したことで,平和な日本を保ち続けなくてはならないと強く感じました。
ちなみに,私の祖父は特攻隊員ではありませんが第二次世界大戦の戦地に赴き,そこで戦死しました。
出征する前夜,まだ幼かった父を膝の上に乗せていつまでも父の顔を見つめていたということを祖母から聞いたことがあります。
膝に乗せた父の顔を見つめていた時と亡くなる直前の祖父の気持ち,亡くなった知らせを受け取った時の祖母の気持ち・・・。
資料を見ている間,いろいろなことを改めて考えさせられました。
■Data
ちらんとっこうへいわかいかん